02
墓守キッチョムのおとぎ話
HELL’S FIRE
1.キッチョムとスタンリーベルフォード
灰色の道と微かに揺れる木々を月の明かりがやさしく照らし出している。
遠く山々のシルエットは夜の闇に深く腰を下ろしていた。
虫たちはまるで囁きあっているかのように静かに泣いている。
その夜の静けさのなかに一層濃い影を落とす若者がいた。月明かりを反射させるほど艶のある漆黒のマントを羽織り、フードで頭をすっぽりと隠している。
ソルマウント教会は遠く町から離れ、深い森に囲まれている。その教会の墓場を囲う柵に腰掛けて、キッチョムはぼんやりと月を眺めていた。オーハン・キッチョム・レギオン、それが彼の名前だった。微かにカールした黒髪は不ぞろいで、乱暴に切っているだけなのがそれとわかる。黒い瞳は深い二重で、寝不足の腫れぼったい目をしばしばさせている。頬にうっすらとそばかすがあり愛嬌のある幼さの残る顔立ちをしている。
月は掛布団を引っ張り寝返りをうったかのように黒い雲の向こうに顔半分を隠してしまった。虫の声に耳を傾けると、虫たちの泣き声はさらに声をひそめて、やがて暗い木々の陰に消えてしまった。
キッチョムは深いため息をついた。頭を垂れ目線を汚れた黒いブーツに落とす。汚れたブーツの向こうに灰色の地面が広がっている。柵から飛び降りると立て掛けておいた鉄の鉤棒を手に取った。まるで地面に引っ張られているかのように重く、ずっしりとしている。鉤棒の先は三つ又に分かれ、まるで鷹の爪のように鋭く曲がっている。三つ又に分かれた鉤棒の先は一本だけ新しく溶接され、微かな月の光を受けて銀色に輝いていた。指でその真ん中の一本を撫でながら、またキッチョムはため息をつく、その時だった。微かに教会の窓が揺れた気がした。いや揺れたのは窓ではない。教会の講堂に大きな窓がいくつかあり、そのひとつがどうやら開いているらしい。窓は地面にうっすらと温かい光を投げていた。
「揺れたのは光だ…」
キッチョムは舌打ちをすると手にずっしりと乗りかかっていた鉤棒を持ち上げ、地面を弾いて飛び上がり、なんなく柵を飛び越えた。まるで猫が暗い夜道を横切るように首を低くし音もなく墓場を駆け抜ける。窓の傍にたどり着くと壁に背中を押し当て中の様子を伺う。
息を殺し、耳を澄ます。物音一つしない講堂の中に人の気配を感じる。キッチョムは鉤棒を握りしめた、しかし自分では気づかないうちに口元に微かに笑みを浮かべていた。
『わかってるんだ…。僕の様子を伺ってるんだろう……』
キッチョムは心の中でそうつぶやくと窓枠に手をかけ一気に講堂に飛び込んだ。
その時だ、恐ろしく鈍い音が頭に響いた、額を激痛が襲い目の前が激しく揺れた。
「あが…!」
講堂にいた男も窓に顔を近づけていたらしく額同士を激しくぶつけたのだ。男は低いうなり声を上げながら地面をのた打ち回り、テーブルの下に転がり込んでしまった。
「くそ…!」
キッチョムもはげしい痛みに耐えかね額を抑えながらも講堂に飛び込むと、こぶしで壁をなぐりつけ悪態をついた。左目からとめどなく涙があふれる。どうやら目もしたたかぶつけたらしかった。男はテーブルの下に潜り込んでしまったままだ。瞬きを繰り返し涙を押しやり床に横たわる鉤棒を見つけた。鉤棒に手を伸ばすと一本のロープが床の上を蛇のように滑りキッチョムの足を掴もうとしていた。慌てて足を上げ蛇の頭を踏みつける。ロープはぴんっと張り、キッチョムの足の下でもがいている。
キッチョムは笑みを浮かべ腰をかがめて鉤棒を握った。テーブルの下をのぞき込みむと血色の悪い青白い顔をした男が向こう側でにやにや薄ら笑いを浮かべている。暗いテーブルの下に浮かぶ顔、緑色に変色した隈の上にブルーの瞳。眉が楽しげに上下する。
キッチョムの口元から笑みが消えると同時にロープが激しく波打つ。男はロープを縦に振るう、一瞬にして蛇が息を吹き返したかのように空を切り裂き、幾重にも波を打った。蛇はキッチョムの右ほほを激しくひっぱたき、講堂に激しい音を響かせた。
「ぎゃっ…!!」
今度は右目から涙があふれ出した。
「おいおい、大丈夫か…?」
キッチョムが床にふさぎ込むと男はテーブルの上に顔を出した。その瞬間握っていたロープがテーブルの下に男を引きづり込もうとした。男の顎が激しくテーブルに打ち付けられた。
「うぐっ…!」
「ははは…!」キッチョムがロープを持って立ち上がった。
「ぐう…ふざけんなよ…」
「どっちがだ!スタン、君は地下室からでちゃだめだろ?みんなに見つかったらまた大事だよ」
「ちょっとお前を探しに来ただけだろ?それに、講堂の外には一歩もでてないぜ?」
「一歩たりとも出すもんか!くやしかったら出てみなよ、どうせ戻ってくるんだから!」キッチョムは息をのみながらスタンリーを激しく睨み付けた。
「はあ?…ロープ離せよ……」スタンリーのキッチョムを見つめる目がすわっている。
青白い顔は血が通っていない証拠だった。彼はソルマントの死人だからだ。金色の美しい髪は白く成り果てていたが、肉体はいたって衰えていないようだった。ロープを握る腕はまるで鋼を磨いたかのような光沢を放っていたし、ロープをまるで自分の体の一部のように扱うことができた。
「いやだ…」
「ああ!?」
「今日はこのロープで君を縛り上げてやる…」
「…いうじゃないか……はなせ!」
「いやだ!」
二人はロープをきつく握りしめ強く引いたり緩めたり、引っ張り合いを幾度となく繰り返した。その度にテーブルはガタガタと音をたてる。
二人の綱引きは引けば引くほどますます激しくなり最後には頭の上に持ち上げ激しく引きあった。二人がはたと我に返ったときには時すでに遅く、大きな六人掛けのテーブルが宙を舞っていた。
テーブルは隣のテーブルの上に激しく乗り上げ、椅子の上に転げ落ちた。凄まじい音が講堂に鳴り響いた。
「ああ…」
「キッチョム、今のはまずいだろう…」
「いそいで!もとに戻すんだ!」
「あ、ああ…」
キッチョムがテーブルに駆け寄ると遠くから足音がバタバタと聞こえてくる。キッチョムが講堂の扉に目をやった。ドアを激しく叩く音、キッチョムを呼ぶ副神父のモリスの声が聞こえた。ドアノブがギシギシと鈍い音を立てて回りはじめる。そして、空を切るロープの音。
ロープはまっすぐドアノブに飛び、激しく波打った。グニャリと首をねじると観音開きの二つのドアノブに食らいつき巻きついた。スタンリーがぐっとロープを引っ張ると固く結びついた。モリスがガタガタとドアを揺らしている。
「キッチョム!いるんだろう!いったいそこで何をしているんだ!」
スタンリーは顎に手を当てて何か考えている。キッチョムと目が合うと手をあごから離し、指先を口に当てだまっていろと促した。
「キッチョム!ここを開けるんだ!」モリスが扉をたたく音が講堂に響き渡る。
スタンリーは鼻から息を吸いドアをじっと見つめた…。
「…にゃ、にゃあー…ぉ…」
「え……?」
講堂が冷たい静寂に包まれ、いつもの威厳を取り戻したかのように思えた。できればこの静寂が永遠に続けばいい、キッチョムはそう思った。
目の前に立つスタンリーは静寂に聞き入り満足げに指をたて、笑みを浮かべた。
なんのことはない、いまこの瞬間、キッチョムの恐れる最悪の事態を作り出したのはほかならない、このスタンリー・ベルフォードだ。
「スタンリィィィ!」ドアの向こうでモリスの金切声が上がる「スタンリーベルフォード!そこにいるんだな!」ドアを叩き、今にもぶち破らんばかりだ。
キッチョムはドアに駆け寄った。ドアに手をあて意を決したようにこう言った。
「…スタンリーは、確かにここにいる!」
スタンリーは慌ててキッチョムに手を伸ばしたが、すぐにあきらめ首を振った。
「聞いてくれ!モリス、扉を開けちゃだめだ!その…デスダストが講堂に充満してるんだ、新しいデスダストを作ったんだ!」
モリスの扉を叩く音が止まった。
「それで、ディブィがぶっ倒れたんだ、痙攣をおこして白目を向いてる、外の空気を吸わせるのにスタンが手伝ってくれたんだよ!ディブィの巨体は僕一人じゃ無理だろ!?」
「キッチョム!見てくれ!ディブィの奴、口から緑色の泡を吹きだしたぞ!!」
スタンはにやにや薄ら笑いを浮かべながら叫んだ。キッチョムが睨み付けると我知らずを決め込んだ。
「ああ…いまここはデスダストに汚染されてるんだ!明日にはもと通りだ約束する!」
「ほ、ほんとうにもとどおりになってるんだろうな…!?」ドアの向こうでモリスの弱々しい声が聞こえる。
「ああ、大丈夫、明日にはすべてもとどおりだ」
「キ、キッチョム、まかせたぞ。私は明日はやくに神父様を教皇議会にお連れしなくてはならないのだ……」
「わかってる、おやすみ!寝坊したら大変だ」
「そう、そうだな……、じゃあ、頼んだぞ……」モリスの逃げるように遠ざかっていく足音を、ドアに耳をあてて確かめるとキッチョムはほっと胸をなでおろした。
「機転が利くな、はは。さてとこのテーブル片づけて、さっさと地下室へ行こうぜ、酒盛りといこう」スタンリーは手をひとつ叩いた。弾ける音が講堂に響き渡る。
「ああ…」
スタンリーは気のない返事を聞くと転がる椅子を片づけようとするキッチョムを見つめた。
だまって椅子を片づけていたキッチョムが机に手をかけるとスタンリーは慌てて机に駆け寄り手伝った。
「みんな、お前のことを待ってるんだ」スタンリーがキッチョムの目を見つめた。キッチョムは笑って見せただけだった。その笑みはどこかさみしく、スタンリーを不安にさせた。
「地下へいこう…」
スタンリーが何か言おうとするのを遮ってキッチョムはそういうと歩き始めた。手に付いたほこりを払いながら壁に並ぶ蝋燭台の一本を力強く引いた。低い音が響き、教台の傍の床が動き出し地下へ降りていく階段が現れた。
スタンリーは階段にに向かうキッチョムの後姿をぼんやり眺めるのをやめ、慌てて後に続くのだった。
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